ぼくがアメリカでコンピューターサイエンスを専攻にした理由

はじめに

現代社会のグローバル化がこれからさらに加速していく中で、日本の多くの学生が世界各地へ留学し様々な文化を学ぶことはとても大事なことだと思います。

海外生活を経験して、新しい考え方を積極的に理解しようとし、必要であれば受け入れる姿勢が、ひとりの人間として大きく成長するのではないかと思います。そのような思考の柔軟性は様々な文化や価値観に触れることで自然と育むことができます。

これについても、もっと書きたいのですが今回は残念ながら思考の柔軟性の話ではなく、もう少し教育やキャリアについて僕なりの考えを書きたいと思います。

まず初めに、教育は各国によってその概念や制度が大きく異なります。では、海外の教育は日本と比べてどうでしょうか。まさに「日本の大学とアメリカの大学はどちらがいいのか」というのは多くの人に議論されていると思います。アメリカの大学が絶対的に素晴らしいとは言い切れませんが、日本の教育は暗記重視なことに対してアメリカの教育は思考重視であることは大きな違いと言えるでしょう。

それに続き、僕は「アメリカは教育対しての関心度が日本より高い」と感じる事も多々あります。アメリカでは「とりあえずやってみて、悪いものは徐々に良くしていこう」という思考が強いので、それが教育面にも反映してるのではないかと思います。アメリカでは貧困格差が日本よりも浮き彫りに出ているので教育が人生のなかでどの程度重要なのかを理解している人が比較的に多いのではないかとも考えています。

では、日本はどうでしょうか。日本ではここ数年で多くの家庭が自分の子供をより良い教育環境に置くために海外留学を決意される方が増えているみたいです。それは本当に素晴らしいことだと思います。しかし、親御さんや留学生自身の中には勘違いしている人がいるかもしれません。それは留学=成功だということです。

もちろん成功の定義は人によって異なりますが、少なくとも”留学して英語を身につければ将来は安定した仕事につける”事が絶対とは言えないでしょう。

問うべきは「留学をしたのか」ではなく「大学で何を学び、何をしたのか」です。そして、自分自身の大学生活で何を学ぶかを考えることは将来の仕事の希望を実現する為の大きな一歩となると思います。そのためには自分に合った専攻を選ぶことがとても重要です。

これは日本人によく見られる傾向なのですが大学ランキングネームバリューなどを中心に大学やその大学に入りやすい専攻をわざわざ選ぶ人がいます。もちろんそれを真っ向から否定する気はありません。判断は人それぞれなので、それもひとつの道だと思います。

しかし、アメリカの大学は学部によって日本で言う偏差値が大きく変わるので、軽率な考えで専攻を決めることはあまりおすすめできません。そのような安易な考えが将来の足かせとなり、せっかくの海外経験すらも台無しにする可能性もあるとすら僕は思っています。

そうは言っても、早いうちから将来を見据えて専攻を決めるのは簡単なことではありません。僕も専攻を決めるのは遅い方でした。なので、もしまだ専攻が決まっていなくても焦って決める必要は全くありません。焦って決めたものは大抵、後々に違ったと気付くものがほとんどだからです。

今回はちょっとだけ僕の過去を振り返り、20才の頃にコンピュータサイエンスに専攻を決めた経緯についてシェアしたいと思います。少し長くなりますがどうぞお付き合いください。専攻で悩んでる人の参考になれば嬉しいです。

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日本の大学と就活の背景

まずはじめに、僕は日本の大学と就活に関してひとつだけ疑念があります。それは就活生の間で漂っているあの就職を先急がせる雰囲気です。僕にはあの雰囲気が今の日本社会を裏付けているように感じます。つまり、社会に出る準備が出来ていないまま社会に放り出されてしまっては、その後に思っているようにキャリアは構築出来ません。今は大丈夫と思っていても、将来的には非正規雇用や派遣社員などいった社会的に弱い立場に追いやられてしまう可能性が高いと思います。

というのも今現在の日本では美容師や保育士などの専門性の問われる職種によって専門学校や短期大学に通っている人達以外では、必ずしも専攻した学部の就職先に決まるわけではないのが現状です。つまり、採用時点では4年制大学の卒業者を横並びにして、学部を問わずに採用している企業がまだまだ多いと感じます。このような古い社会構図が自然と特に就職先を選ばない学生を生み出しているのだと思います。そうなると大抵の人が重視するのは「周りより一刻も早く就活を終わらせること」になってしまいます。

とにかく周りより早く就活を終わらせたいという事を重視しすぎて、その後の将来を軽視してしまうケースです。就職活動に費やす数年よりもその後の人生の方が何倍も長いので、社会に出た後もしっかりと生きていける"準備"をするのが大学なはずです。

しかし一方、大学自体は生徒一人一人の個人的な就活に一切責任は取ることはありません。もし仮にあなたの就活が上手くいかなかったとしても、ブラック企業に勤めたとしても、将来リストラにあったとしても大学は何の知ったこっちゃありません。それをふまえて大金を払って大学に通うわけだから、それなりの覚悟がいると僕は思っています。

特に就職先を選ばない学生。そういった人たちが増えるのも無理はないと感じます。原因がいくつかあるが、まずは大学に通う多くの学生が奨学金という名の学生ローンを借りている事です。現在では2人に1人が借りていると言われているこの学生ローンという名の奨学金は卒業後に返済しなければいけないので、いわば『借金』とも言えます。

例えばこれが年功序列や終身雇用の時代であれば数年で借りた奨学金を返済出来たかもしれませんが、現在のほとんどの企業が終身雇用などを保証出来るほどの余裕がありません。激しい競争社会によって企業の雇用体系も以前とは大きく変わり、現在では多くの企業が非正規雇用を起用しています。

社会に出る前に多額の借金を背負う学生達は『奨学金返済』というプレッシャーによってさらにお金に固執するようになり、少しでも良い給料をもらうためならと悪条件でも仕事を受け入れるようになっているように見えます。

奨学金を借りて卒業したはいいものの返済が出来ない。実際にそのような状況に陥ってしまう人がたくさんいるらしいです。奨学金を管理している日本学生支援機構の2015年のデータによると3か月未満の遅延が発生している奨学生はおよそ32万人。3か月以上の遅延が発生しているのは16万人。

基本的に、借りた奨学金をプラン通りに返すことが出来ずに3ヶ月以上の遅延を発生させてしまうと個人情報に滞納履歴が残ってしまいます。そして延滞すればするほど延滞料を払わなければいけません。最終的には個人のクレジットカードが作れなくなってしまったり、住宅ローンが組みづらくなってしまう可能性も出て来ます。まさに負の連鎖ですね。

僕がなんとなく予想する日本の近未来は、日本と海外の双方で高収入を得ることのできる知識産業層とそれ以下の人たちとの格差がさらに拡大していくような気がします。つまり、大学を卒業して社会に出ても、そこから生活していくがやっと...という人がさらに増えていくような状況です。これは僕の勝手な未来予想なのであしからず。

まるで"社会に出る前に多額の借金を抱えていくか"それとも"借金はないけども、大学卒業の肩書はなしでいくか"そんなどちらも不条理な二択に迫られてる状況の人が多い、今の日本の若者。自己責任と言われたら終わりですが、これからの未来の日本を担う若年層がこれではまずいと僕は思います。

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次に本題入ります。

”なんとかなる”はちゃんとやっている人の言うセリフ

そんな僕も20才になるまで本当の意味で自分が将来何をしたいのかを分からずにいました。僕にとって、ここでの本当の意味というのは表面的な要素を必要以上に入れない事を意味します。要するに、僕は当初、お金社会的地位などといった事ばかりを中心に物事を決めようとしていました。

アメリカである程度の学位が取れれば大丈夫だろう。
ある程度の英語が話せるようになれば仕事には困らないだろう。
とりあえず専攻は安定のビジネスにしておこう。

こんなことも思っていたのです。要は”留学しているから””他の人より苦労しているから”という大きな勘違いのおかげで、変なプライドだけが高くなっていました。楽観主義もいいところです。実にお恥ずかしい。

仕事というのは人生の大部分を占めるものです。そんな人生の大半を占める仕事のキャリアを真剣に考え始めたとき、働く理由が分からないまま何十年も働く事は僕には出来ないと感じるようになりました。

僕が当初持っていたような根拠のないプライドや自信というものは自分自身が思っている以上に脆いものであり、実際にそうじゃなかった時の挫折は本当に辛いものでした。なんとかなるっていうのはちゃんとやっている人のセリフ。当たり前ですよね。結局、何もしてない人の『なんとかなる』は『なんとかならない』のです。

留学生だと”留学を終えたらボストンキャリアフォーラムに行けば大丈夫”と思っている人も少なくはないのではないでしょうか。確かに4年制大学を卒業していればどこかしらから内定はもらえると思います。しかし、ボストンキャリアフォーラムで俗に言う有名外資企業に入ることの出来る人のは一握りです。

中には、外資企業に入ってある程度お金がもらえれば仕事自体は楽しくなくてもいいと考える人もいると思います。しかし、仮に65歳で定年退職するにしてもそのうちの約40年間を楽しくない仕事に時間を費やす事が果たしてあなたの”やりたいこと”でしょうか。もちろん人それぞれの生き方があると思います。でも、有名外資企業などに入るだけが留学の成功定義ではありません。

なので、留学後の仕事でどれだけお金を稼いでいるかというので、留学の成功を計るのはちょっと無理やりすぎると思います。人の価値はお金で決まりません。お金が大事じゃないと言っているわけではありませんが、高給与という一点張りで仕事やそれに伴う専攻を決めるのは将来に危険が伴う可能性が高いと思っているのです。

では、仕事に対して何を求めるのか。僕の場合は人の役に立っている実感周りのコミュニティに貢献している実感の方が将来の仕事において重要な要素だということに気付かされました。簡単なように聞こえますが、ある意味気付きにくい環境にいた僕にとってはとても難しい気付きだったのです。

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本当に大事なものは何なのか。本当に成し遂げたい事は何なのか。いちいち他人の意見やつまらない見栄っ張りで動揺していてはいけない。

夏に読んだ一冊の本

そんな僕が20才の頃に大きなきっかけをくれたのはグーグルでした。ふといつものようにググっていると、その使いやすさと的確さに衝撃を受けたのです。僕はその誰にでも使いやすく設計されている仕組みを知りたくなりました。そうした仕組みを知っていくうちにグーグルで働いている人達は何をやっているんだろう。と疑問を持ち始めたのがきっかけです。このほんのちょっとした気付きと興味心がその後の僕自身を大きく変えていきました。

そこで僕は真っ先にグーグルが出している本を一冊読みました。そこで彼らの”働き方””仕事への概念”を見ていくうちに僕の頭はすっかりテクノロジーでいっぱいになっていました。そんなグーグルを支えているのは誰か。それはエンジニアであり、プログラミングという技術でした。僕は思い立ったらとりあえずやってみるタイプなので、すぐさま大学でプログラミングの授業を受けることにしました。今思うとあの時の『とりあえずやってみよう。』の単純精神があったから今の僕がいると思います。グーグルのような検索エンジンもそうですが、コンピュータの構造を学んでいくうちに”こんなものを作る天才がこの世にいるのか”と衝撃を受けました。

日本人の留学生の中でもコンピューターサイエンスを専攻にする人はまだまだ少ないです。確かに他の科目の授業よりも内容は難しいかもしれませんが、その難しさの先に”モノづくりの楽しさ”があると僕は思っています。とは言いつつも、コンピューターサイエンス課程を取っていくなかでやはりその難しさが故に専攻を変えようかと悩む時期も多少ありました。勉強しているときに何故か孤独感があったのです。心のどこかで迷いがありました。

僕がこれからコンピューターサイエンスを専攻していくには圧倒的なモチベーション明確な目標が必要と思いました。そこで僕はきっかけでもあったグーグルの本社に見に行くことにしました。もしかしたら思っていたものと違うかもしれないと思ったからです。テクノロジーの文化や最先端の技術が集まったシリコンバレー・サンノゼ。その文化を支えているエンジニアは一体どんな人達なのかを自分の目でちゃんと見ておきたかったのです。

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ちなみに僕はNBAのゴールデンステイト・ウォリアーズの熱狂的ファンです

実際に行ってみると想像以上でした。大好きなテクノロジーと共に、とてつもない熱意と野望を持った人たちが集まるこの環境。そんなサンノゼはまるで"世界を変えるぞ!!"という雰囲気が街中に漂っていて、その空気がいつまでもテクノロジー業界にイノベーションを生み続ける原材料になっているんだと率直に感じました。まさしくこの”Change the World”の風土がシリコンバレーの文化を支えている大きな要因だと思います。それから様々なスタートアップ企業なども訪問するうちにすっかりサンノゼという街に魅了されてしまいました。

家に帰ったときに残っていたのは"サンノゼで働きたい。"という感情だけでした。それは僕の中での目的がはっきりした瞬間でもあり、最高の環境で自分を追い込みたいという決意をした瞬間でした。そして今現在、幸いなことにサンノゼに住むことができています。

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フェイスブック本社に漂う彼らの企業文化はまた他とは違った独特さがある

一番成長するのは”ハマった時”

とは言ったものの、今読んでくれている人の中には"高給与目的で専攻選ぶなって言ってるくせに自分はちゃっかりコンピューターサイエンス選んでるじゃないか"と思われている方もいるかもしれません。確かにアメリカには破格の高収入を得ているコンピューターサイエンス出身のエンジニアが山ほどいます。学校側も”コンピューターサイエンスやってれば仕事に困らないよ。”ってそればっか推してきます。

ちなみにTechCrunchの記事によるとコンピューターサイエンス専攻の平均年収は9万2300ドルほどだそうです。日本円に換算すると約1000万円ですね。もちろんこの数字は持っているスキルや住んでいる場所にもよって異なりますが、インターンシップで700万から900万ほどもらっている優秀な人もいます。

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引用元:給与が最も高いのはテック業界とコンピューターサイエンス専攻――LinkedIn調査

確かに大学の専攻過程を決める際に『どの程度の収入が見込めるか』というのは大きな要因である事実です。中には専攻を決める前に『卒業後の就業機会と高い給与の確保を考慮すべき』という人もいます。現実的にはその通りかもしれません。でもやはり、そういった考え方はちょっと無理やりすぎると思います。

そもそも人間というのは自分のやっている事にハマった時に一番成長することが出来ます。つまり、興味を持って、自分で好きなものにしていくことによって、物事をより深く学習することができるようになると思っています。

なので結局どの分野にいたとしても、自分のやっていることに興味がなければ、続けていくことは難しく、苦痛に感じてしまうのも時間の問題だと思います。

そういう部分では僕はとてもラッキーでした。たまたまプログラミングに出会い、そこから様々テクノロジーに興味を持ち、まさにコンピューターサイエンスという専攻が僕にとってぴったり当てはまったのです。僕のコンピューターサイエンス専攻にした理由に給与は一切関係ありません。

なかなかハマるものが見つからない人。焦らなくて全然大丈夫。

ハマるものを見つけるためにはまず好きなものを見つけるのが最初のステップです。そして、その好きなものを見つけるためには色んなものを知ることです。そして何より大切なのは、その為に行動することだと思います。これに関しては自分で見つけるものなので、人に教えてもらうようなことではありません。

もし、あなたの好きなことやハマってることに関してがちゃがちゃ言ってくる偉そうな人がいたら放っておきましょう。単なるアホです。

それとお金に過度に固執せず、人の意見に左右されすぎないことも大事だと思います。

興味のある分野が就職には不利だから...とか、給与が低いからとか関係ありません。せっかく海外にまでいるのにそういった事を理由に自分のやりたいことを隠して、興味のない専攻を選んでいる方がよっぽど不合理であり、人間としてもダサいです。

留学生を含む日本人なら商社やコンサルなどといった大手という言葉に過度に踊らされないこと。東芝やSHARPといった大手を見れば一目瞭然です。今の時代に安定などありません。安定とされている公務員の仕事や事務作業もこれから高度な技術が搭載されたAI(人工知能)などが人間に取ってかわるでしょう。

そのような厳しい資本主義社会を生き抜いていかなければならない僕達にとって、安定を求めること自体が最大のリスクだと思います。

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ちなみに日本とアメリカではコンピューターサイエンスの扱われ方が大きく異なる。日本もそろそろ『プログラムはヲタクのやるもの』や『下請けにお金を払って書かせるもの』という概念を脱却しないといけないだろう。そしてこれから、周りの人と大きな差をつくるのは、今ある『テクノロジー』を理解できるか、出来ないのか。であると思う

人工知能の未来を追っていたい

ここからは少しだけ僕自身の話をさせていただきます。僕自身、コンピューターサイエンスを勉強し始めてから、最終的にはどのような道に行こうかというのは考えてきました。元々はEdTech(エドテック:教育×テクノロジー)の分野にとても興味がありました。

しかしここ数年で自分自身でもよく考えた果てに、人工知能(AI)の分野に進むことにしました。まだまだ知識不足ですがこれからも精進したいと思っています。

「これからはAI(人工知能)の時代だ」と言われている中、どうしても人工知能の話題となると『数年後には人間のほとんどの仕事が人工知能によって置き換わる。』などといったものが取り上げられてしまいます。

僕はそのような未来(シンギュラリティ)はいずれかはやってくるとは思っているものの、それと同時にまだまだ技術的課題がたくさん残っていると思っています。その技術的課題とともに人工知能の大きな可能性にとても魅力を感じています。

僕が人工知能に興味を持ち始めたきっかけはコンピューターサイエンス専攻というのが間違いなく大きな要素なのですが、元々は「自分の知識や経験を社会に還元して、少しでも社会にインパクトを与えたい」ということが根幹になっています。

そしてこの現代社会の様々な問題の解決に向けて、人工知能がどう手助けして、今よりも住みやすい社会にしていくのか。その未来では手助けをする側でいれればと思います。

人生、”誰”と一緒に生きるかが大事なように、”何”と一緒に生きるか

これを自身で見極めることも、とても大事なことだと思います。
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さいごに

これからも情報化を中心とした資本主義が進み、

人間や社会自体が金に飢えていくなかで、

僕は”人間らしさ”がとても重要になってくると思う。

”人間らしさ”や”人間味”というのはAIの苦手分野でもあります。

そもそも人間らしさとはなんだろう。

自分らしさとはなんだろう。

それはひとりひとりによって定義が違うと僕は思っている。

"自分とは何なのか", "何がしたいのか"

これらを分からずして生きていくとなると、

仮にAI(人工知能)によって人間の仕事が減少し、

自分の仕事が奪われてしまったとき、

生きる意味や自身の価値を見い出だせず

必ず孤独感と共に社会に取り残されてしまうだろう。

僕は今までアメリカで色んな夢を持つ人に出会った。

日本に帰って起業して社長になりたい。
オリジナルのカフェを作りたい。
日本に帰って養護施設を立ち上げたい。

留学の形というのは何もひとつではなく、人によって色んな形があって本当に素晴らしいと思いました。

周りに笑われるとか、馬鹿にされるとか、そんな他人事に惑わされてはいけない。

好きなことに真摯に向き合っていくことが自然と幸せに繋がる気がします。

好きなもの。情熱を注げるもの。成し遂げたいこと。

これらは人によって違う。周りに合わせる必要ない。

やりたいことがあるならすぐにやろう。

行きたいところがあるならすぐに行こう。

考えすぎる前に行動することによっては邪心も消える。

『その内やる』という道を歩いて行ったら

行き着く先は『何もやらない』のひとつ。

人生をより良いものにするかしないかは他人ではなく自分次第だから。