ぼくがアメリカに留学して気づいた5つのこと

はじめに

僕はここ最近、かなり落ち込んでいる。というのも、今学期に入ってから授業がかなり難しいんだ。プログラミングの授業では冗談抜きで授業中に泣きそうになったことがあるくらいだ。

教科書を何回読み返しても理解できず、いきなり話題を振られ、10分間のプレゼンテーションをやれなんてことも言われて『こんなもん出来るかーー!』と投げ出したくなったことも何度もある。ひどいときは"何が分からないのか"さえも分からない。

しかし、そんな経験をしているのはきっと僕だけじゃないんだと思う。毎日のように大量の課題をやりこなし、自分の目標を達成しようと努力している人は同じ留学生としても本当に尊敬しているんだ。

なぜなら本気でネイティブの学生と対等で勉強するのは決して容易なことではない。時には辛いこともある。分からないこともたくさんある。むしろそっちのほうが多いほどだ。

僕も長年留学してる身としてアメリカで生活してる以上、『留学生』というよりも、『日本人』として”思う”ことがたくさんある。今回はそれをあなたとシェアしていきたい。

出来るだけ分かりやすく、率直に、大きく5つにまとめて書いていこうと思う。

f:id:the-crossover:20160503134439j:plain


もくじ

世界で一番の幸せもの

僕はまずアメリカに来てから日本や世界で起こっている現状について自分なりに考え始めた。世界のニュースには常にアンテナを張り、ニュース以外にも身近で起きている出来事に対して、『どう思うのか』『なぜ起きるのか』について考えるようにしている。それはこの世界で生きている以上、学校での勉強と同じくらい大切なことだと思ったからだ。

事実、僕たちは先進国で生まれ、先進国で育った。僕は日本という国は世界の中でも本当に恵まれた国だと心から思う。海外で暮らしたことのある人は特にそう思ったことがあるのではないだろうか。日本食の美味しさ、温泉の良さ、日本人としての温かみ、あげたらきりがないくらい日本の文化は素晴らしい。

仮に僕たちがもし中東のシリアで生まれていたらどうなっていただろう。いかに向上心を持って、強い夢を抱いていたとしても、きっと全て無に帰していただろう。あるいは、違う国に生まれていたとしても、年代によって幸運な人生もあれば不幸な人生もあるわけだ。話が極端すぎるかもしれないが、少なくとも僕たちがこうやって好きな事ができているのは、当然の出来事ではないということを僕は常日頃思っている。

日本は素晴らしい国でありながら、現在の景気自体は決して良い状況とはいえない。それに加えて日本は経済以外にも様々な問題を抱えている。

2011年に起きた東日本大震災に続く、4月の熊本県での大地震によって多くの人が命を落とした。その中には、家族を失った人。仕事を失った人。生きる希望を失った人。たくさんいると思う。僕自身も5年たった今なお、あの震災の衝撃を忘れることはできない。今は直接的なサポートをすることは出来ないが、一日でも早い復興を心から祈っている。

さらに日本は年間に多くの人が自殺で自ら命を絶っているが、彼らのほとんどの理由が仕事でのストレスやその他の人間関係からのストレスが原因だという。『ストレス社会』と言われる日本をまるで象徴するかのような出来事だ。僕は個人的には年間で数万人が自殺する国は戦争をしている国と同じくらい問題だと思っている。どっちにしろ恐ろしく悲しい現実だ。

それに僕はアメリカに来てから、日本にいるときよりも圧倒的にホームレスの人たちの姿をよく見るようになった。サンフランシスコに行くと、ストリートを挟む信号ごとにホームレスの人たちがいるほどだ。もしかしたら日本ではあまり見かけない光景かもしれない。でも、彼らもホームレスになりたくてなったわけではないんだ。彼らには彼らの理由がある。ともかく、アメリカの貧困問題も解決しようがないところまで来てしまっているのは明らかだ。

僕はそんな中で留学をしている。それがどういう意味なのか、どれだけすごい事なのかを身にしみて感じた。留学だけではない。自分の好きな事をして生きていけるその”選択肢”を持っていることがどれだけすごい事かに気付かされた。

日本を離れ、海外に出てみると、『普通』が『普通』ではなくなる。そして、あなたのその『普通』がある人によっては『幸せ』に変わる。

もしあなたが今、好きな事を自由に出来ている環境にいるのなら改めて周りに感謝してほしい。

あなたは間違いなく世界で一番幸せものだ。

f:id:the-crossover:20160503123004j:plain

もっと積極的になろう

『Japanese people are shy. (日本人は恥ずかしがり屋)』

僕はこの言葉をアメリカに来てから何度も何度も聞いた。僕はあんまりこういうことを海外の人に言うべきではないと思う。なぜなら海外では『恥ずかしがり屋』なことはプラスポイントではないからだ。

だからこそ日本人はもっと積極的になっていいんだと思う。もしあなたが自分の事を積極的だと思っていても、もっともっとだ。将来の自分のキャリアに対して、勉強に対して、全てにおいて日本人は積極性に欠けているんじゃないかと思う時がある。

もしかしたら日本で積極的にいると、周りから『出しゃばっている』なんて思われるかもしれない。周りから悪口も言われるかもしれない。最初は気になってしまうかもしれないが、そういう事をするやつは大抵、外見ばっかりを気にしている暇人たちなので放っておけばいい。

少し話が変わるが、アメリカと日本との間では大きく違うことが一つある。それは『気付く』ということがアメリカの文化には極端に少ないところだ。彼らには、『あれがしたい!こうして欲しい!』とこっちから言わないと全く気づいてくれないんだ。

逆に、こっちから積極的にいくことで彼らも全力で助けてくれる。僕自身の経験では、自分でもちょっとしつこいかなと思うくらい積極的に先生たちに話をしに行っても拒まれたことは一度もない。むしろもっと来いと言われるほどだ。

それに比べて日本人の『気づく』能力はかなり優れていると思う。つまり、何を言わなくても周りに気を配ってあげることが出来るのが日本人の良いところなんだ。しかし、その日本人の良さが海外に行くと裏目に出てしまう時もある。特にアメリカという国は積極性を大いに買う国なので、さらなる積極性が求められる。

要するに『待っていても何も来ない』のがアメリカだ。

僕ももう長年アメリカにいるけれど、現地のアメリカ人の生徒や他国から来ている生徒の積極性は本当にすごいと思う。彼らの中でも勉強する子達は授業中での発言もしかり、その後のオフィスアワー(教授への質問タイム)への参加、そして夜は遅くまで図書館にこもって必死に勉強をしている。

『欲しいものは自分で掴みに行く』というのがアメリカのスタイルであり、ひとつの大きな文化だ。

日本人はもっともっと自信を持って、もっともっと積極的になってもいいと思う。

いや、なるべきだ。
f:id:the-crossover:20200608195015j:plain

英語は就活の為だけではない

僕は日本に帰るとよく周りの知り合いに『英語が出来れば就活に困ることはないね。日本に帰ってきたら何かしらの仕事は絶対にあるよ!』なんてことを言われる。僕はその度に頭のなかではてなマークをよぎらせていた。と言うのも、僕はそうは思わないからだ。いや、そう思わなくはないが、”そう思えない”が正しいかもしれない。だって僕は別に就職活動で有利に立つためだけに留学をしているわけじゃないんだ。

しかも、海外に出てみると2カ国、いや、中には3カ国の言語を自由自在に操るひとはざらにいる。僕はその中で生きていくためにはある程度、英語が出来るのは当たり前だと感じる。大事なのは英語が喋れることではない。『英語 + αα(アルファ)の部分の方が重要だ。

正直、英語なんてやれば誰にだって出来る。ただそのやる人が少ないだけだ。もちろんネイティブにはなることは出来ないけれども、英語の上達はいつだって出来るものだ。それに『日本人は英語ができない』と言われがちだけれども、それよりも重要なのは、『日本人が自分たちで英語が出来ないと強く信じている』ところだと僕は思う。

これから2020年の東京オリンピックに向けて、日本での英語に対する仕事の需要も増えていくだろう。しかし、そんなことははっきり言ってどうでもいい。英語が出来るメリットというのはなにも仕事のことだけじゃないんだ。

僕が思う英語が出来る最大のメリットは人生そのものの選択肢が増えることなんだ。英語が出来るだけで『生き方』が大きく変わっていく。

少なくとも僕の人生は英語によって間違いなく大きく変わった。

f:id:the-crossover:20160503131851j:plain

もっと周りを助けよう

僕は人が豊かに人生を送る最大のヒントは『助ける』ことだと思う。つまり、人生の価値というのは自分が与えられた以上に周囲に与えることによって見出されると僕は思う。

『助ける』というのは何もそんな大きな事をする必要はない。宿題を手伝ってあげるのでも、相談に乗ってあげるのでも、家に泊めてあげるでも何でもいいと思う。そこで小賢く、お互いの利害関係を考える必要はない。もし自分にリソースが余っているのであれば周囲の人を助けてあげよう。

『助ける』ためには何かを『覚える』ことが大事になってくる。何かを『覚える』ことは周囲を『助ける』ことにも繋がり、自分を『助ける』ことにも繋がる。プログラミングでも、料理でも、英語でもなんでも『覚える』ことによって、周りを『助ける』ことができるんだ。

普段、僕たちはそういうことを一々気にしてないけれど、人はそうやって助け合いながら生きているということを忘れてはいけない。

それともうひとつ。『助ける』ことと同じくらい大事なのは『助けてもらう』ことだ。人は『助けてもらう』ことで自分に何が足りないのかを知り、成長していく。ぼくは当初、なんでもかんでもひとりでやりたがる性格だった。助けを求めることになぜか『恥ずかしさ』を感じ、躊躇していた。

もちろん自分自身で解決する力も必要だ。でも、本当に助けが必要なときに変なプライドはいらない。『助けて欲しい』と素直にちゃんと言えるかどうかは人生の大きなキーだと思う。

それに僕は人にはそれぞれ必ず長所があると思っている。数学が出来る人。英語の文法に詳しい人。エッセイが得意な人。美味しいお店をよく知ってる人。洋服やブランドに詳しい人。きっとあなたの周りにも色んな長所を持っている人がいるだろう。なにも、自分で全てを知る必要はない。

分からないことは分かる人に聞き、分からないことは分からないと認め、『助けてもらう』ことで人は成長し、弱さを認めることで人生は大きく変わると僕は身をもって感じた。

そして助けてもらった分、周りを助けてあげよう。

f:id:the-crossover:20200608195000j:plain

時間はお金ではない

『昔は〜』や『最近の若者は〜』の枕詞で始まる大人の話は聞かなくていい。僕の経験からするとそういうことを言う大人は大抵のことに関して、幼稚園児用のプールのような浅い知識しか持っていない。年上を敬う気持ちは大切だけれども、そんな枕詞かのような話から始まる彼らの意見は聞いてても無駄なので聞く必要はない。もちろんそうじゃない人もたくさんいる。そういう人の話は積極的に聞きに行こう。

僕らはこの世で一番価値のあるものを持っている。それはまぎれもなく未来だ。未来があるというのは、可能性があるということだ。未来をどう使うかはあなたの時間の使い方次第。もしあなたがスマホでずっとゲームをしていたり、お酒に呑んだくれたり、パーティで遊びほうけているのなら、自分の時間の管理の仕方を見直す必要があるかもしれない。

例えば、試験前などになると自分がどれだけ時間を無駄にしてきたか感じるだろう。なぜか人は時間の大切さを後になって気付く傾向がある。でも、それじゃだめだ。後で惜しくならないためにも、今のその時間を大切にしていこう。時間の使い方次第でどういう人生を歩むかがほとんど決まってくると僕は信じている。

それと僕がこの章のタイトルに『時間はお金ではない』と書いたのは、お金は増やせるのに対して、時間は増やすことが出来ないからだ。時間には必ず限りがある。誰であってもその時間を増やすことは出来ない。

若いうちにやれる事というのは、年をとってからでも出来るんだ。しかし、若いうちにやるべき事というのは年をとってからでは絶対に出来ない。つまり、年をとってからでは遅すぎるんだ。

あなたの今やるべきことはなんだろう。もしあなたに夢や目標があるなら、その大切な時間を無駄には出来ないはず。

時間は人生、命そのもの。

その大切な時間を安売りしてはいけない。

f:id:the-crossover:20160511155354j:plain

さいごに

人間はずっとは生きることができない。

永遠のように感じるその人生もいつかは終わってしまう。

想像してみてほしい。

あなたは最後に死ぬとき、何に後悔して、何に喜びを感じるだろう。

もしかしたらあなたは家族や友達を大切に出来なかったことを後悔するかもしれない。

もしくは念願の世界旅行が出来なかったことを後悔するかもしれない。

それなら家族や友達をもっと大切にしよう。後で後悔しないためにも。

人はやるかやらないか。行動するかしないかで人生は大きく変わる。

遊びたいなら遊べばいい。勉強したいなら勉強すればいい。

未来も人生も自分で選ぶことができるんだ。

どんな人生を歩みたいかはあなた次第。

人生は思っている以上に短い。

ぼーっとしてたらあっという間に終わってしまう、よ。